2019/8/3 公開勉強会「現在の障がい者のパフォーミング・アーツ事情とその可能性」に登壇しました

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今日はNPO法人ダンスボックスのみなさんにお誘いいただきまして、「障がい者のパフォーミング・アーツの現在とこれから」という公開勉強会でお話をさせていただきました。
会の中では、ダンサー・俳優の森田かずよさんによるソロダンス「アルクアシタ」の上演がありました。拙著『舞台の上の障害者』でも触れさせていただいた本作に7年ぶりに対面し、森田さんの身体の変化もさることながら、今日はより一層、すごみを感じました。

森田さんは、身体に側湾があり、ほかの人とは異なる身体のかたちをしています。
その森田さんが、観客に、ずずず、っと近づき、じっと見つめるシーンがあります。
まるで挑発するような表情であったり、憐れむような表情であったり、にらみつける表情であったり、その時々によって表情は異なるのですが、観客と対面するシーンがあります。
おまえはどうなんだ、ここに対面して私に見つめられてどうなんだ、という気迫を感じます。
そして、森田さんは、はめていた義足を脱ぎ、左右異なる長さになった足で飛び上がります。
見る人が見ると、挑発に見えるかもしれない。
でも私は、そこに切実さを見ました。

森田さんのパフォーマンスのあと、私のレクチャー、それから森田さんの作品解説のあと、クロストークがありました。
ダンスボックス代表の大谷燠さんが聞き手になってくださいました。
いくつも、良いキーワードをいただきました。

障害のある人の表現に向き合う時に人は、予定されている世界に同化することの快感を得ているのではないか、という話。
障害者が健常者のようになることを目指して踊るダンスとは異なる表現を、どう創出できるのか、という話。
そのためには、障害/健常問わず、その人自身をどう「待つ」ことができるか、という話。
いろいろな話をしました。

とくに、大谷さんが話した言葉が印象に残っています。

「ただのカオスをつくるのではなく、”青空が見えるカオス”をつくりたい」と。

その言葉を私は、こう解釈しました。

混沌とした状況を作り出すことは、「クリエイティブ・カオス」という言葉があるように、そこから創造的な力が生み出されることを期している。
なにか新しいアイディア、新しい世界を作り出すには、創造的な混沌が必要である。
だけれども、カオスである状況において、人は不安に陥る。
自らの予定している世界、換言すると、自らが善だと思っている世界観に同化することのほうが、よっぽど楽である。
自らが善としている世界観かどうかもわからず、盲目的に誰かの言説をコピペすることが、よっぽど楽である。

だけれども、本当に創造的な、多様な人たちが多様なまま過ごしていける、場をつくるためには、自らの世界に溺れる快感だけではならない。
だれかが行なった表現に対して、たとえそれが理解不能であっても、理解不能のまま、対話の回路をひらく態度があってほしい。
ほんとうのカオスは、もっと、しんどさを兼ね備えたものである。
…そして、だからこそ、ふと空を見上げたときに青空であるように、息をゆるめる場所がほしい。

終わった後、みなさんに連れて行っていただき、新長田の、阪神・淡路大震災後に建てられた、鉄人28号のモニュメントの下で、おいしいビールを飲みました。
青空、とまではいかない天候でしたが、それでも新長田の独特の開放感を感じました。
たくさんの外国の人たちと交流したり、自由さを体感したりしました。

誰かの生きづらさ、誰かのしんどさが、そのまま他者への攻撃になってしまったこと。
その攻撃の飽和が、ひとつの表現の不自由を体現してしまったこと。
今日起こったあいちの地の出来事を思うに、”青空が見えるカオス”を生み出すこと、
そのカオスを大切にするために対話の回路をつくることを、怠らないようにしなければならない、と強く感じました。

今日は、インターネットでニュースを見るたびに傷ついた思いになる1日でしたが、
新長田の雰囲気に救われた1日でもありました。ありがとうございました。
そのいただいたエネルギーに対し、なにができるのか、考えてしまいます。
誰かと話したいなあ。

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長津研究室|九州大学大学院芸術工学研究院

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